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To 『Dressing Up』安川有果
​  From  石井岳龍・映画監督

世界に対して宣戦布告する主人公の少女の孤独な心の葛藤に、激しく感情移入し、共感しました。そして何より、映画という表現に何ができるのか、映画独自の禍々しき魔力の有り様、端正なストリーテリング描写を内側から食い破るようにオリジナリティが炸裂する瞬間と、トータルな客観的表現力のブレンド具合が、私が志向している映画表現のひとつととても近しくて、なんだかとても痛快な気分になりました。今後の作品、期待してます。(一部抜粋)

To 『湖底の蛇』田中里奈
​  From  黒沢 清・映画監督

一見波風立たない普通の現実世界のように見えて、まったく唐突に、知らぬ素振りで非現実が挟み込まれる。それは言ってみれば主人公の妄想なのだろうが、にしてはずい分と客観的だ。おかげで作品全体にわたって高度な緊張が持続する。何とも心憎い映画。ひとつ間違えれば通俗の極みになるかもしれないそうした妄想の描写を、きわめて格調高く提示した監督田中の手腕は相当なものだ。おまけに撮影、美術、編集、音楽すべてよい。

To 『ピンパン』田中羊一
 From  大寺眞輔・映画批評家

『ピンパン』で描かれるのは、どこにでもいる若い女性であり、どこにでもある都会の孤独であ

り、ディスコミュニケーションである。だが、その描き方は些かも平凡ではない。視界を遮って

いた緑色の壁がゆっくり降りていくのを目撃する時、私たちは映画が人生に対する美しい復讐と

なり得ることを確信するのだ。

To 『こんなに暗い夜』小出 豊
 From 廣瀬純・批評家

・・・よりわかりやすく言い直そう。ブレッソンに少しでも勝っていなければ、ストローブやゴダールに少しでも勝っていなければ、映画を作る意味などいったいどこにあるというのか。映画は「自己表現」の道具ではない。映画はよりいっそうの寒冷を求めている。世界は冷えきった映画を求めている。小出豊は映画の、そして世界の、この欲望をおのれの生として生きる作家なのである

To 『適切な距離』大江崇允
​  From 青山真治・映画監督

現代映画と現代演劇の出会いが生む新たな王道の誕生を

『適切な距離』は高らかに宣言する。

To 『ほったまるびより』吉開菜央
​  From 工藤健志・青森県立美術館学芸員

清々しいエロティシズムとフェティシズム。生々しい皮膚感覚によって貫かれた透明な詩性。緩慢なワンカットすら拒む徹底した美意識。過激さと穏やかさ、衝突と均衡がもたらすその快楽は、ダンサーでもある監督の吉開菜央とパフォーマンスも行なうミュージシャンの柴田聡子の「個」の交わりによる成果か。「メディアとしての身体」という現代的なテーマを扱いながらも、超言語コードで綴られる映像からは、時間や空間を超越してさまざまな物語や思考が喚起させられる。2015年版ガーリー・ポップの「象徴」として記憶にとどめておきたい作品である。

To 『太秦ヤコペッティ』宮本杜朗
​  From 矢崎仁司・映画監督

イデオロギーじゃない、思想をつかみ取った人たちの顔が映っている。

これが映画だと思う。こういう映画を観ないで映画を語るなよ。

ありがとう。

To 『TOCHKA』松村浩行
​  From 鎌田哲哉・批評家

『TOCHKA』は松村浩行にとって、『地下室の手記』ないし『精神の氷点』に相当する作品なのかもしれない。ドストエフスキーや大西巨人が、後年の長編小説に至る以前に一度はそれらを書く必要に迫られた仕方で、松村もまた、人生の空費と見紛う荒廃と衰弱を敢然とくぐり抜けようとしたのかもしれない。

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